top of page

Utopia 2

男のようにサッパリとした性格故か27才まで恋愛経験無し。

 

仕事で必要になったためパソコンを手にして出会い系を知り、メル友との初体験、それっきり音沙汰無し。

 

次の男も出会い系、一度のSEXで再び音沙汰無し。

 

三度目の男とは(恋愛トラブル1-4)直ぐにSEXせず旅行に行くことになり・・が、生理のために出来ずでフラレ、、。

心も身体もボロボロに・・・

ユートピア二人目の女性は20代後半です。

最近、初体験を得てその後の男性とのつき合いに戸惑い悩み苦しんでいました。

何十通のメールのやりとりが有りながら私にも彼女を救えないのではと諦めかけていました、、、。 

非常に悔しい思いをしかけていました。 ところが彼女が急にユートピアに行きたいと言い出しました。 

 

しかし、私にはまだ確信が持てずにいました、、でもとりあえず来てもらうしか無いと思いましたが、内心どこまで彼女の心を再生出来るか不安でした。

ところがわずか三日前になり彼女のトラウマが解りました!

彼女の家庭、中でもお母さんとの葛藤も彼女の孤独に追い打ちをかけていたのです。

 

小さいころからのお母さんとの確執のメールを読んだ時完全に彼女を救えると確信しました!

直ぐにその日に取って有ったナイターテニスを友達にキャンセルし彼女にチャット出来るかと、リターンメールしました。

もともとホットメールでしたので直ぐに出来るとの返事が有り、10時から5時間かけて彼女に説明しました。 

見る見る彼女の反応が現れました! 確信しました! やはり大丈夫! 彼女を救える!!!

ユートピアに招待した三日目の最終日。

 

三日間で6~7回は抱きました。最後に抱いた後彼女は私の胸で部屋中響き渡る声で泣き続けました。

今まで絶対にどんなことがあっても人前で泣かなかったという女性が嗚咽し、しゃくりあげながら涙をぼろぼろとこぼし続けました。

 

私には解っていました、何故彼女が泣きじゃくるのかは。私は黙って彼女を胸に抱き続けました。

 

初体験は愛どころか出会い系男の性欲消化のみのSEX。

 

その後直ぐの出会い系も性欲放出するだけのSEXで一度っきり!その後の男も旅行の生理で音沙汰無し。

初めて経験する愛溢れるSEX。

 

涙が出ないはずがありません。彼女は初めて私という、男に愛され包まれ守られる幸せ、を肌で感じ、ハートで感じられたのです。 


実は最初の夜に抱いた後も彼女はベッドに座って私の肩に頬を寄せ「どうして涙がでるのかな?止まらないの」と笑いながら不思議そうにつぶやきました。 

まだそのときには完全な心の解放までは至ってなかったのですが、焦る事は無いと思っていました。
 

ユートピアの子で始めて私の側に住むことになった子です。

1

ここ2、3ヵ月の私は、自分のことが大嫌いでした。

自分の存在を消したい、生まれてきた証すら消したい、そんなことばかり考えていました。

自分のとる行動、とる行動がどんどん自分自身を追いつめていきました去年の夏、その時付き合っていた人と別れたことが発端でした。

私の存在そのものを拒絶されたように感じ、どこにも居場所がなくなりました。それからは・・・ただ、ぬくもりを求めて、居場所を求めて・・・袋小路へと迷い込んでいきました。

そして、年明け早々、当時何度か会ったことのあったメル友君に求められるままセックスをしました。私は初めてでした。どこかに、2?歳になっても処女だなんて、誰でもいいからしちゃえ!みたいな思いがあったのかもしれません。

でも、その行為は自分を底無し沼に突き落とすだけでした。 抱かれた時も、、、そのあとにはなおさら愛の無いセックスがどれほど自分を無くすものか、、、、、寂しいものか、、、、、。

それでも、そんな状態の中でも、好きな人(今思うとやっぱりぬくもりが欲しかっただけだったのかなぁ・・・)が出来たんです。

ちょうどその頃です。funwakaさんのホームページを見つけて、彼とのことを相談したのは・・・。ただ、その時は自分の暗闇を見ないようにしていたので、当たり障りのない(その時は、重要だと思ったんですよ。)ことだけ相談しました。2度ほどメールのやりとりをしてその時は終りました。 

 でも、その後、ますます私は落ち込んでゆきました。 

私は自分の暗闇に入り込み、身動きが取れなくなりました。苦しくて、苦しくてもがけばもがくほど深みにはまっていくんです。そして、またfunwakaさんにメールを出しました。

そのメールは、今読むと恥ずかしいぐらい、よく分からないメールです。ただ、私は今こんなに辛いんだよー!という自分の気持ちだけを押し付けたメールでした。受け取ったfunwakaさんも???だったことでしょう。

ーーーーーーーーーーーー

funwaka注、当時のB子さんから私に送られたメールが有ります。 いかにB子さんが袋小路に入り込んでいたかが良く解るメールです。


ーーーーーーーーーーーー
分からないんです。今の私には分からない。考えることが出来なくなってます。自分と向き合うことが怖いんです。ここ、2、3週間ずっと考えてきました。このまま前へと進めるんじゃないかと思った時期もありました。

でも、だめでした。どんなに考えても、どんなに向き合おうとしても、心は受け入れてくれません。頭で考えるそこでとまってしまっています。


自分の心なのに見つけることが出来ません。どこにあるんでしょう?向き合うってどういうことでしょう?どうすれば向き合うことが出来るんでしょうか?

もう、お手上げです。ただ、今は何も考えたくない。何も見たくない。何もしたくない。何も・・・。


funwakaさんや、OOOOさんとこうしてメールのやりとりをさせて頂いているのに、何も吸収してないし、元の場所から動けてない。本当に、申し訳ないと思います。

それに、funwakaさんにさえ、まだまだ自分を出せていない気がします。たぶん・・・(どこまでが、自分なのかってよく分かっていないのですが・・・)。

こうしてメールを書いていても、「何してるんだろう?」「何書いてるんだろう?」「何が言いたいんだろう?」「何を言ってもらいたいんだろう?」疑問ばかりが浮かんでしまって・・・。答えは・・・???

すみません。読んでいるfunwakaさんの方がわけわかんないですよね。変わりたい、殻を壊したい、ホントにそう思ってはいるんですよ。思っているし、実行してみようとも思っていました。

今はちょっと息切れしてしまったようです。自分の心を開けるための鍵をなくしてしまったようです。どうやって開けたらいいのか???その術が見つからないのです。その前に心さえ見つからない。


突然話は変わりますが、今、転職を考えています。環境を変えてみるのもいいかなと思いまして。それに、今の職場がある街は思い出がありすぎるんです。

ここはいつも待ち合わせをした場所・・・ここで、ご飯食べた・・・そんなことでと思うんですが、まぁ、それだけではないんですけど(今の会社にいて未来が見えない、すごく不安なんです。いつ潰れてもおかしくないようなところですから。)、中身から自分を変えることが出来なければ、周りから変えるしかないかなと・・・。

だからといって、この街に2度と足を踏み入れないかといったら絶対にありえないんですが・・・なんていったって、どうしたって足は踏み入れちゃいますね。

でも、今の時代そんなに簡単に転職が出来るかというと難しいと思いますから、どうなりますやらですが。自分の出来ることを少しづつでも。。。

それにしても、また支離滅裂なメールですね。すみません。頭の中がぐちゃぐちゃで言葉がうまく出てこないのです。人に伝えるのって難しいですね。

実は、こうしてfunwakaさんにメールを書くこと自体が今は怖いです。友達に書くメールと違って、自分を出さなければ書けないからです。なんででしょう?なんで、こんなに怖いのでしょうか?自分は自分なのに。自分が怖い。そんなことってありえるんでしょうか?

こんにちは。
そうですね。どの道を選んでも、「これ」という道は、満足できる道はないんですよね。分かってはいるんですよ。それでも、マイナスにしか考えられない今の思考状態では、「ああしとけば」「こうしとけば」とそんなことばかり考えてしまっていました。今は・・・"からっぽ"な状態です。

すみません。この辺でやめておきます。すごく中途半端な気がしますが。もう少し考え、まとめられるようになったらメールします。おやすみなさい。。。

こんにちはfunwakaさん。

今日不思議な体験をしました。前々からの約束で友達とPartyに行きました。まぁ、私はこんな状態ですから、何事もなく終わりました(友達も今日は不発だー!と怒っておりました)。

ただ、その間中というか友達と一緒にいても、自分の周りに薄く膜があるんです。すべてにおいて現実感がないというか、なんともあやふやな世界に見えました。

それから、友達とおしゃべりしたり、笑ったりしている時も「なんだ、私笑えるじゃん」ってふと客観的に見ていたり。でも、そういう感覚っていいもんじゃないですよね。だって、楽しんでないことになりますもん。友達にも悪いし・・・。

楽しかった思い出も、辛かった思い出も、どんどん、どんどん手の中から落ちて行ってしまう。考えることを拒否したためでしょうか?楽しくもないけど、辛くない。

正直言ってしまえば、辛くないので精神的には楽です。でも、それがいいことだと思っているわけではないです。"喜怒哀楽"がまったくない状態ですから。人間としてどこか欠落していると思います。

自分に問い掛けてみました。今、私が一番望んでいるのはなんだろうと。まだまだ思考回路が正常化されていないので、なかなかこれといった答えは見つかりませんでした。でも、なんとなく見えてきたことがあります。"乗り越えたい"立ち止まりたくないとそう思いました。傷は時間が解決してくれることでしょう。

だから、その傷を受け入れる強さが欲しい。自分を見つめることが出来る強さが欲しい。自分を愛し、人を愛する"愛"にあふれた人になりたい。私に出来るでしょうか?なれるでしょうか?

ここまで考えて気づきました。自分でどうにかしようとするのは不可能だということ。自分の心がどこにあるのかすら分からない今の状況ではどうにもならないこと。

背中をちょっと押してくれるだけでもいい。そのちょっとの手が欲しいと。でも、私の周りの人は誰一人として今の私の状況を知りません。funwakaさんしか知らないのです。funwakaさんと、OOOさんしか・・・。


ーーーーーーーーーーーーーー


それでも、そんなメールにもきちんと対応してくれました。それから、何度かメールのやりとりをして、ユートピアのお話を伺い、「行きたい」とお願いしたんです。その時は、どうにも解決方法が見つからず、藁にもすがる思いでした。行くことが決まってからも、底無し沼で硬い硬い殻の中にいました。

funwakaさんからも見えないほどの。でも出発3日前に、ふと「そうだ母のことも知ってもらおう。母からの影響の方が強い。」そう気付いたんです。そして、母について今まで思ってきたことを書き連ねました。次の日に「霧が晴れたよ」とfunwakaさんからのメールが届きました。

私は、ずっと母は兄だけがかわいいんだ、私は兄よりも愛されていない。そう思って育ってきました。母に愛されるためには、兄よりもいい子でいなくてはいけない、兄の出来ないことも出来なくてはいけない、それが私のトラウマだったんです。

知らぬ間に、母の望むように行動することが私の行動の原点となっていたんです。だから、自分で道を選んで生きてきたつもりが、そうではなかったんです。

自分で道を選ぶ力をまったく失っていました。メル友君とのセックスがいい例です。ただ、"流れ"でしてしまっただけ。だから、よけいに自分を責めたし、どうにもならないぐらい落ち込んだんです。

"愛されたい"その思いが強すぎたこと、自分自身で何も決めてこなかったこと、それらが全ての原因でした。原因が、トラウマが分かってからはどんどん心が軽くなっていき、自分でも「霧が晴れる」それを実感出来るほどでした。そして、初めて自分自身の心で決めたこと"ユートピアに行く"日を迎えました。

その頃には、すっかりfunwakaマジックにかかっていたので、funwakaさんに会いたくて会いたくて仕方ありませんでした。それからは夢のような3日間でした。

行く前から「セックスすること」は了承済みでしたから、funwakaさんに抱かれることに抵抗はありませんでした。(自分を見せることへの恥ずかしさはありましたが。)「かわいいよ」「きれいだよ」とfunwakaさんはずっと、ずっとこちらが照れてしまうぐらい褒め続けてくれました。

そんなこと今まで言われた事がなかったので、初めは「そんなこと言われたことない。私がかわいいわけない。」そう思ってました。でも、それでもずっと言い続けてくれるので、そのうち言われることが嬉しくなって、funwakaさんが言ってくれるならと素直に思えるようになりました。

どんどん、どんどん私の心の中でfunwakaさんの存在が大きくなっていきました。

それに比例して私も心を見せられるようになりました。そして、最終日。誰にも見せたことのない「子供のように泣きじゃくる私」までfunwakaさんに見せてしまいました。でも、それで涙と一緒に過去も洗い流してしまったようです。

母は母なんだ、私は私なんだ、私は私のしたいことをすればいいんだ。そう、思えるようになると母に対する見方まで変わってきて、とても穏やかに母に接することが出来るようになってきました。これからは、今までとはまったく違う親子関係が築いていけると思います。

そして、お互いがお互いからの精神的自立が出来ると思います。

「愛を欲しがる者に愛は注がれない。愛を注がれる人はそれ以上の愛を相手にふりかけている!!」funwakaさんに言われた言葉です。

ユートピアに行ってみて初めてその真の意味を理解した気がします。ここまで変われるなんて!ここまで生まれ変わることができるなんて!母との関係のことが分かってからずっと驚き続けています。「こんな私が、私の中にいたなんて!」と・・・。

こんな私とは・・・今までは、男の好みに自分を合せるなんて、ばかな女のすることだと思ってました。でも、今なら素直にその人好みの女になりたいと思います。

思えるんです。だって、大好きな人の喜ぶ顔が見たい! 喜んでくれるなら、笑顔でいてくれるなら、なんでもしてあげたい! 心からそう思うんです。

たぶん、友達に「好きな人の好みの女になりたい。自分を変えたい。」なんて話をしたら卒倒間違い無しです。(笑)

他にもいろいろな"こんな私"がいて、最近楽しくて楽しくて仕方ないんですよ。(⌒-⌒) 

funwakaさん、○○さん、本当に本当にありがとうございました。○○での3日間は一生忘れないと思います。お二人のおかげで、ここまで生まれ変われたんですから。どんなに、感謝しても足りないぐらいです。ありがとうございました。

2

この後B子は私の側で暮らすことになりました。 

 

歳も歳だし、結婚させなければななりません。

 

30歳までの一年間だけの約束でした、が、B子も離れたがらず私も話したくなく。

しかし、いつかは私の胸から飛び立たせ、結婚させなくてはなりません。

3

一年と三ヶ月、、私の側で暮らしていたB子を実家に帰す時が来ました。

このひと月、、何度B子の涙を見たことだろう。。。。とうとう別れの時が来ました。

B子の涙を見て何度も私もこぼしそうになったのですが、、、なんとかぼろぼろになるのだけは避けられていましたが、、、、、。

実家に帰る日の午後、私の仕事先まで顔を見せにきてくれました。大きなバッグを抱えバス停にたたずむB子は最初は嬉しそうに、最後はサングラスで隠した顔を涙顔でくしゃくしゃにしながら誰にもわからないように小さく手を振って駅に向かいました。 

部屋の中で立ちすくむ私の、ガラス越しに見えるスマートなB子はいつもよりもっと華奢でか細く頼りなげでした。。。 引っ越しの都合で最後の日が私の休みにならず、見送りが出来ません。 この後暫くは仕事が手に付かなかった。。。

B子はOOO22時発、OO行き夜行バスで帰る予定でした。 私は見送りが仕事の都合で間に合わないと思っていました。 ところが仕事を急いで片づければギリギリで間に合いそうになったのです! 車を飛ばしました! 出発5分前! 間に合いました!

バスの直ぐ近くに路駐した私の車にB子はくしゃくしゃな泣き顔で走って来ました。 抱きしめてキスをしました。大勢の人達がいたようですがあまり眼には入らなかった。。。。

少し言葉を交わしてB子をバスに乗せました。 席に座ったB子は 歩道で見上げる私を見ながら泣き続けていました。 

私はバスの後を追って車を走らせました。信号待ちのバスの隣、、、信号をバスは右折私は左折、、、左折して10mも走らない内に涙が溢れ、大声で嗚咽してしまいました。 

いい年したオヤジが、、、涙でくしゃくしゃになったまま車を運転して、、、、。 

いつもいつもB子は私と会っているとき必ず私をとろけるような眼で見つめていました。いつもいつも必ずでした、二人でテレビを見ていても、テニスの休憩中でも、食事中でも、、、「一年間も、、未だに良く飽きないねえ?こんな顔が? 」と言う私に「ウン!」 と、嬉しそうに頷き再び見つめ続けるB子でした、、。

送り返してから、B子が何故私を、いつもいつも最後までとろけるように見つめ続けていたかが解りました。 

B子は私に絶対的な親の愛を求めていたようです。 

赤ん坊が大きな母の愛に包まれ、抱かれ、安心し、その腕の中で幸せそうに嬉しそうにオッパイを飲みながら母を見つめる眼、そのままでした。

 「こんなおっさんの顔のどこがそんなにいいんだい??」 いつも照れて笑って言う私に「いいの!funwakaさんがいいの!」 と、とろんと溶けた眼で見つめ続けていたB子。

 出会った最初から最後までそのままでした。

お母さんやお父さんに愛されていなかったと錯覚して生きてきたB子はその親の絶対的な包み込む愛、暖かな愛、全てを許してくれる絶対的な愛を私に感じていたのでしょう。 求めていたのでしょう。。。包まれて、安心して、暖まる、親の愛を。。。。。。

B子が私の元で暮らす決意をした事の理由がいくつかあります。 

一番の理由はもちろん私を好きになってしまった事でした。 お母さんとの確執を家を出て離れて考えてみる事。 30才近くまで一度も家から出たことが無く、自立した生活をして見たかった事。 

そして、「funwakaさんににオーガズムを教えてもらう事!」 と言っていました。

一年という期間はオーガズムを教えるのにギリギリの期間です。 週に三度抱ければ何とかなるとは思います。

 しかし私は忙しくそれほど会えるかどうか、、、。 そして何よりも愛だけでは無く私を心から信頼仕切ることが出来るかどうか、、、その事が最も重要です。

オーガズムの約束を果たせるのは半々だと思っていました。 半年たった頃は無理なのではないかと思いました。

B子は心がまだ私を信頼しきれていなかったのです。愛を求めてはいるけれども、愛を信頼出来てはいなかったようです。常に私に会いたがり私の側でくっつきたがっていました。

 しかし、それは彼女の一方的な好きという感情でした。 それではまだ私に全幅の信頼を持っているとは言えません。

愛とは完全な信頼と心の奉仕です。 自分の為にでは無くその人の為に! そう思えるのが愛です。 B子は半年の期間ではまだそこまでは至っていなかったのです。

 常に悩んでいました。「私はこんなにfunwakaさんを好きなのに、funwakaさんは私を理解してくれていないのではないか、、funwakaさんは私を愛してくれて いないのではないだろうか、、、」常にそうした疑念が有るようでした。

私も色々な言葉で説明し、行動で示し、いかに私がB子を愛しているか、だからこそ、悩みの本質はB子自身の問題なのだと、、説明しました。 B子の思考、行動、態度の変化が重要なのだと説明しました。

言葉では理解できても、いざその場になると行動が追いつかず悩みは解決せず平行線のままでした。 

ある日実家に用事で帰ったB子はユートピアの一人の子と食事に行きました。 で、そこで悩みをうち明けました。 

私がその子にB子に伝えきれない部分を、女の立場から説明してやってくれと、頼んでもいたのですが、、、。 彼女は見事にその役目を果たしてくれました。

人と接する機会の多い彼女の説明と説得はB子の霧を晴らすに十分だったようです。「自分がいかにfunwakaさんを好きか言葉で表し行動で示し続けなくてはいけないか、どのような事があろうとも、自らの意志を閉じこめてしまっては絶対に相手に真意は伝わらないし、自らの努力無しには誰も理解してはくれないし、解らないもの。。。。」 

私がいくら説明しても男の側からの説得であり、同じ言葉でも女の側からの言葉での説得とは理解する側への入り方が違ったのでしょうか、、、それからのB子は見違えるように、内に籠もる部分が少なくなって行きました。

これで残り半年以内にオーガズムを教える事が出来ると確信しました。 みるみる性感の上昇がありました。 

それから半年、B子が私の元に来てちょうど一年、今年の六月、殆どオーガズム状態にはなりました、、、、八ヶ月たった頃に一年の約束をB子の申し出と理由も有り、三ヶ月間の先延ばしとなっていました。 

しかし、オーガズムの印である絶頂感の頂上の緊張からの一気の発散、緩和、はまだ表れてはいなかったのです。もう一段のB子の心と身体の変化が必要でした。 

一年間、B子は生活の全てを私に振り向け優先するために、給料が安くとも時間的に都合のつけやすいアルバイトの種類を選び働いていました。

少ない給料をやりくりしながらの生活はB子のブランド志向を嫌う、質的豊かさを理解できる素養が助けたようです。 

 都会での中流以上の暮らしをしているB子の母親の子育ては見事に花開いていました。質素ながらも清潔でB子のマンションでの時間は私にとても快適で豊かで充実した時間を過ごさせてくれました。 

一年を過ぎた頃から、B子は一日一日と残りの私との会える回数を指折り数えるようになってゆきました。 

人の感情とは不思議なものです。 B子が完全なオーガズムを得る事が出来るようになった、この一ヶ月、、、もしも一年間だけだったとすればオーガズムには至らなかったのだろうかと思いを馳せた時、「いや、やはりB子はオーガズムを得ただろうと」 と、思います。

 この一ヶ月間で何故B子がオーガズムを得たかという事実の中身を確かめればわかります。

B子がもう一段の心と身体の変化が出来たのは、後三ヶ月! あと16回しか会えない! あと8回しか会えない!という飢えと切なさの極め、絶対性が必要だったのです。 

その感情が私に会うたびに爆発していったのです。 その感情が彼女の身体を!心を変化、化合させたのでしょう。。。

一年前後で潮吹き、一年二ヶ月で95%の快感、、そして残り一ヶ月で完全オーガズムに至りました。 これでB子はもしも性的に幼い男性と結婚しても時々はオーガズムを得られる事でしょう。 

普通のレベルの男性なら必ずセックスの度にオーガズムを得られるはずです。 性は男女の長い結婚生活においての絶対必要な潤滑剤です。 

オーガズムを得られる女性とのセックスは男の性欲と満足度をなおさら刺激します。 性においては末永く夫婦仲良く暮らして行ける条件は整いました。

B子を側に呼んで一年と三ヶ月、私の趣味スポーツ優先の生活に合わせるのは大変だった事でしょう。 常に私と彼女との三人の行動は桁違いの重圧をB子にもたらせたと思います。

 ユートピアの子達が来るたびに寂しさで枕を濡らしていた事でしょう。 焼き餅が爆発して私を困らせた事も何度も何度も有りました。

 しかし、その度に自らを諫めるという回答を得なければならない。。それもB子を一桁も二桁も人間として、女性として大きく成長させる試練でもありました。 

愛は自分のためでなく相手の為だとの実践無くして務まる私の側での生活では無かったのですから。。。。。。

B子を側に呼んでからいつも私につきまとっていたトゲが有りました。 

「B子を果たして私の側に置くことがB子の一生に少しでも本当に役立つのか?」 常に自問自答していました。 

自信は有りました。 今までも多くの若い子達に人生の機微、必要な知識と経験を説いて来ました。 何人もの男の人生の路線を大きく変更させるほどの影響を与えた事もあります。

 私の意見主張意義を良く理解した彼らのその後の人生が大きく花開いた事も私の自信になっています。

B子自身にも問いました。 「私の側に来ていっぱい苦労しなくてはいけない事も有るよな、今、来て良かったと思ってるか?」 その問いにB子はいつもこう答えてくれました。

「今の私はfunwakaさんの側にいることが一番幸せなの! 他の場所での生活は考えられない!」 でした。 その言葉を聞くたびに、その場では安心していたのですが、、、でも問題は現在では無く現在の生活が彼女の将来に果たして確実に良い影響を与えるのか?でした。

今、振り返ってみて、B子を見ていて、私は自信を持って言えます。 B子にも言いました。 

「おそらくお母さんがこれからはB子に対して何かと相談するように変化するはずだよ」  今はB子は私の側を離れる寂しさで全てが心細く、将来にもたまらなく不安を感じている事でしょう。

 しかし間違いなく、、、B子は自身は解っていないと思いますが、、、、B子は精神的にも数倍逞しく強くなり、綺麗になりました。 

女の魅力も数段上にレベルアップしました。 今のB子なら周囲の男がほおっておかない事でしょう。  

私の側での苦労や辛さ、愛を得るためには何が必要なのか、どうすべきか、その全てを経験し理解し始めたのです。 女の魅力をどう演出するかも理解し始めています。 

少女が大人の女に生まれ変わりました。 女の魅力がいっぱいです。 一年後には 私に少しの嫉妬を感じさせながらも心から祝福できる男性と出会い、結婚のはこびとなる事でしょう。

ちいさい頃からのB子の思い。 「私は絶対に子供をいっぱいいっぱいかわいがってかわいがって育てるんだ!」 そのような幸せな家庭を必ず築くでしょう。 

ありがとう!B子! 私はこの一年半近く、とてもとても幸せで楽しい時間を送らせてもらった。。。。いつか、かわいい子供を見せに来てくれないかな。。。

オマエの子は私にとって孫のようにとてもかわいく思えるだろうから。。。

bottom of page